2010年6月18日 (株)日本サルベージサービス「ニッサル通信」第72号掲載

未来への提言明日の50年史

=「五十年後」=

倉橋容堂(尺八演奏家)

 百五十年前、但馬国香住の漁師だった倉橋平三郎は、何かを見据えたような眼差しをして、京都へ上る街道をひた歩いていた。但馬杜氏と呼ばれる季節労働者として、伏見の酒屋で働くための上洛であったが、そのときの彼は二度と故郷へは帰らない決意を心に秘めていた。故郷を捨てる特別な理由はなかった。京都に夢があったわけでもなかった。不安は大きかったけれど、おそらく彼の心の中に魑魅魍魎が巣食ったのであろう、何としても京都へ、という彼の「意味のない決意」は固かった。そのときの彼の凛とした表情を、私ははっきり見ることができる。
 百年前、西陣で建具商を営んでいた北尾芳太郎は、店をたたみ、家具一式を大八車に載せ、千本通を南へ向かって歩いていた。風が強い日だった。妻の父である倉橋平三郎に乞われて、倉橋家の養子となり酒造業倉橋商店の二代目当主となるための引越しであった。義父の要請とは言え、自殺者まで出て混乱の極みにあった倉橋商店のお家騒動の渦中に飛び込むことは、彼には胸が痛むような決断ではあった。しかし、その日の彼の表情はさばさばしていた。何とかなるさ、行け行け、という魑魅魍魎の密やかな無責任な声が、彼の耳を領していた。その密やかな声々を、彼のさばさばした表情を、そして風に舞う千本通の砂埃を、私ははっきり見ることができる。
 五十年前、倉橋太一郎(容堂)は京都駅で稀代の尺八名手・神如道の到着を待っていた。太一郎は酒屋の次男坊という境遇を嫌い、ハリウッドの映画に憧れ、「広い世界」を夢見て、満鉄の子会社・国際運輸に就職し、中国山西省太原の支店に勤務した。しかし敗戦とともに難民となり、妻と三人の子供を連れて命からがら中国を脱出。京都の実家に戻ったものの、実家は倒産、仕事なく、金なく、食い物なく、三人の子供のうち二人を飢餓で亡くすという地獄を体験した。そんなどん底の日々、どこからともなく「また尺八を吹け」と言う軽い声を、彼は聞いた。彼は十七歳のときから尺八を習っていたが、海外雄飛の熱が高まるとともに興味は薄れ、帰国時には楽器も楽譜も持っていなかった。食うや食わず、尺八どころではない生活苦。ところが、よりによってそんなときに、魑魅魍魎がやってきた。その甘美な軽い声に惑わされ、木こり、煙突掃除、脱脂綿の行商など、ありとあらゆる日稼ぎ仕事をしながら、彼は再び尺八を手にした。そして、運命的な神如道との出会い。彼は趣味の領域を越える決心をして、神如道を京都に迎えた。初めて心から尊崇できる人物に出会った高揚感と、責任ある生活者としての無力感が交錯し、彼の顔は思春期の少年のようだった。そんな顔をして京都駅で師の到着を待つ彼の背後で、得体の知れぬ魑魅魍魎たちがエールを送っている光景が、私の目にはっきり浮かぶ。
 私の体内にも、魑魅魍魎が巣食っている。忘れもしない今から三十年前、そのころ私は大阪市役所に奉職していたのだが、ある夜、自宅の風呂に入っていたとき、どこからともなく「辞めてしまえ」と私に囁く声が聞こえた。軽やかな声だった。それは官能的な悦びさえ感じさせる声であった。私は嬉しくなり、翌日さっそく上司に退職する旨を伝えた。これは作り話ではない。真実の出来事である。そして、既に亡くなっていた父・太一郎の後を継ぎ、尺八の師匠になった。「尺八の専門家だけにはなるな」という父の人生をかけた遺言を無視し、魑魅魍魎の甘言の方を選んでしまった。
 前後の見境があったわけでも、新しい人生計画があったわけでもない。実際、正式に退職したその瞬間は、将来への恐怖で震え上がった。でも心の奥底で、浮ついた無責任な声が鳴り響いていた。「何とかなるさ」。
 それから三十年、事実、何とかなった。でも苦しい道のりでもあった。子供には同じ道を歩ませたくない。人生を後悔している、と言えなくもない。特に家族には迷惑と苦労をかけ続けている。本当に申し訳ない。
 魑魅魍魎とは、いったい何者だ? 人生や事業の計画も何もかもぶち壊し、人生を狂わせ、自分だけでなく周囲の人たちにも大いなる苦しみをもたらす。でありながら、魑魅魍魎に魅入られた人生というのは、他人にどう説明すればいいのか分からない性質の悦楽が満ちている。
 私の血筋にはそのような魑魅魍魎が脈々と生き続けている。私の子や孫にも、そのまた子孫の体内にも、生き続けることだろう。
 五十年後、私の血を継ぐ者たちがどのような人生を歩んでいるのか、それは全く見えない。しかし、子孫の誰かが、ふと魑魅魍魎の軽い声を耳にし、愚かしく目を輝かせる光景は、ありありと目に見え、私は悪魔的に微笑む。そして、そんな魑魅魍魎が生き続ける限り、計画や計算を度外視した愚かな選択が存在し続け、尺八などの伝統芸能に人生を賭ける愚かな人間が存在し続けるであろうことは、間違いないことと思われる。